年老いた親が病気になったときの心境と、子どもができること/体験談

家族
Pocket

こんにちは、在宅ワーカー主婦のgyaoです。

  • 離れて暮らす親が病気になり、心配だけれど何をしていいか分からない。
  • 親が急に介護が必要になった。何から始めればいいか知りたい。

こんな風にお考えの方に向けて、わたしのは体験談が少しでも役に立てばと思いこの記事を書いています。

私も父親が病気になり、さらに膝を痛めたことで車の運転が心配になる状況が発生しました。

車がないと病院に行くのも不便な田舎なので、受けるべきサービス、かかるお金と保障など、子どもである私は何をすべきかということを考えなくてはならないと感じています。

まずは自分の心の中でもまだ整理しきれていない「親が病気になった時に子どもができること」を私の体験談を交えて、書いていきたいと思います。

スポンサーリンク

親が病気になった時の子の心情

父親が最初に病気を患ったのは、もう8年ほど前のことです。

当時私は総合職として地元から離れた会社に就職し、社会に揉まれ自分のこと(仕事)でいっぱいいっぱいでした。

20代でまわりの目も気になる時期だったので、「リア充」を目指して土日も忙しく遊んでいたように思います。

父が病気になった。

そう聞いても、今よりも危機感や何か私がやらなくちゃ、という気持ちは少なかったと思います。

父は2度病気を患っています。1度目の病気のときに入院した父の見舞いに行った私は、父から弱音を聞くことになります。

薬を飲んでいるので食欲がわかない。気力もなく、このままでは生きている意味がない

このようなことを言われたと思います。

痩せ細った父が、大部屋の隅のベッドに横たわり、入院中の楽しみもなく、持ち込んだコップを自ら洗面所で洗い、まわりに気を遣い心休まる場所のない病室で過ごす姿は、今思い出しても胸が締め付けられます。

そのうえ、気力が弱ってきている。

本人がもう病気を治すことを諦めた、いまこの瞬間薬を飲まずに穏やかに暮らしたい、そう言っているように聞こえました。

私は、「そんな事言わないで、治療を続けてほしい。頑張ってほしい」というような事しか言えなかったと思います。

その言葉が父にとって辛かったのか、どういう風に感じたのか、私には分かりません。

私が子供の頃から、贅沢をせず真面目に仕事をしている印象しかなかった父。

思春期のころは反抗的な態度をとったりと家の中の雰囲気は決して良くなかったと思います。

そんな時も動揺もせず、いつも変わらない印象だった父。

そんな父が、いなくなるかもしれない。

子どもの頃から素直ではなかった私は、家族のために働いてくれてありがとう、大学まで出してくれてありがとう、そんな簡単なことさえ伝えたことがありませんでした。

そんな自分を変えなくては、何かをしなくては。そんなら気持ちが湧き上がってきました。

親が病気になって自分がやらなければと感じたこと

幸い、1度目の父の病気は治癒しました。

父の病気に大きなショックを受けたものの、毎日の忙しさに忙殺されなにか大きなアクションを起こすことは無かったと思います。

2度目の病気が発覚するまで、父が病を患っていた記憶さえふだん思い出す事は少なかったです。

30代になった今の自分は昔ほど忙しくなく、また「親がいつかいなくなるもの」という現実を以前よりは受け入れられたからなのか、父の病気や受けられる保障に関して、調べなければ落ち着きません。

親が病気になって、私がやらなければと感じたことを書いてみます。

親の病院に付き添うこと

父の病院の受診に付き添うために帰省することも増えました。

毎月の受診が必要で、重要な検査の結果が出る月もあれば、定期検診でさらっと終わる日もあります。

先生から直接自分の耳で親の状態を聞き、疑問があれば質問できるというのは、少なくとも自分の中での安心材料になります。(親は別に無理して来なくてもいい、と思っているかもしれないけれど)

大きな病院なので受診時間に比べて待ち時間はその何十倍も長くて、口数の少ない父は自分から話す事はほとんどないし、公共の場では大人しくなってしまう母も近くに座っているだけです。

私もあれこれ普段の生活について親に尋ねるけれど、そのうち自分のスマホを見出したりして、ただ隣に座っているだけで、合理的な性格の父からすると無理してついて来なくていいよ、という結論に至っているみたいです。

でももし自分が親で、子どもが時間を作って自分の受診について来てくれたら嬉しいかな、と思うので、特に求められてはいませんが行ける時は付き添っています。

親孝行をすること、感謝の気持ちを伝えること

月並みですが、親孝行をしようと意識するようになりました。

大人になってから家族間で誕生日プレゼントのやり取りなんてした事がなかった割とドライな家族だったのですが、

誕生日の前に欲しいものを聞いて、送るようになりました。

自分から何かしたい、これが欲しいなどと言わない父ですが、意外と聞けばすぐ欲しいものが返ってきます。

ボウリングのシューズ、懐メロのCD集、ステーキ肉など、パッと思いつくということは普段から欲しいけど買えてなかったものがあるのだな、と贈りがいを感じています。

なかなか言葉でありがとう、と伝えるのが恥ずかしいので、物を贈ることで少しでも親孝行をして自分の気持ちを落ち着かせていたような気がします。

でも、やっぱり言葉は大事ですね。

私が1番親孝行になったと思ったのは、結婚式での両親への手紙です。

恥ずかしくて、はじめは読むのをためらっていた両親への手紙。

結果的に、読んでとても良かったし、読まなければ後悔していたと思いました。

読む時はやっぱり恥ずかしかったけれど、書く段階で伝えたいことがやはりたくさんあり、厳選して選び抜いた感謝の言葉。

自分もある程度大人になって親の苦労が分かり、伝えなければならないと使命感を感じていたし、誰かの前で読むというシチュエーションも、素直ではない私たち家族にとって良かったと思いました。

病気の情報を調べること

病気に関しての情報リテラシーが高くありたいと思っています。

薬や治療法や、治療する病院などは、自分から能動的に探していくことで新たな情報に行き着く場合が多いです。

病院の先生も、ひとりひとりの患者に100%の力で接することができるわけではありません。

親の病気に関しては、1番熱意を持って、治したいという思いを持っているのは子どもかもしれません。

また、親世代は情報に簡単にアクセスする術を知らないことも多いです。私たちが簡単だと思っている検索が、親にとっては思いつかないことかもしれません。

私は父の病気についてある時調べ、専門の病院があることを知りました。それを父に伝えると、

「もう今の状態で転院は少し遅いような気もする。」

と返事が帰って来たのです。ある程度病気が進行してしまった今では、もう転院は視野に入れていないようでした。

もっと早く調べて伝えていたら、父の運命は変わったかもしれない。そう後悔しました。

ただ、それでも私は病気について調べることをやめませんでした。

医学というのは日々進歩していて、新しい治療法を考えてくださる医師や研究者の方がいます。

私は新しい薬が父の治療の選択肢としてあることをインターネットで知り、父から病院の先生に尋ねてみたところ、「じゃあ試してみましょう」となったことがあります。

結果的にその薬は父に効きました。

先生は、いくつかある選択肢の中から治療法を提案してくれますが、そのすべてを開示してくれているとは限りません。

ただ、患者の希望があれば検討してくれるかもしれません。

先生の話を聞くだけの受け身ではなく、一般的にはどんな治療があるのか?この治療法は試してみる価値があるのか?など積極的に聞いていくと、治療は大きく変わるかもしれません。

自分が安定し自立すること

病気を持った親からすると1番ありがたいのが、もしかしたら子が安定して自立することかもしれません。

子に対する責任や、心配から開放されて、少し寂しい書き方ですが自分がいなくても大丈夫、と思わせてあげることが大事なのかもしれません。

親に対して、お付き合いしている人の話など一度もしたことがなかった私のことを親は心配していたと思います。

ですが父親からは一度も結婚はまだか、的なことは聞かれたことがなかったので、あまり気にしていないのかな?と思っていました。

結婚の報告をした時、特に父親はとても喜んでくれました。

恥ずかしながら、子である私の幸せを願ってくれていたことや、心配をさせていたことにその時初めて気がつきました。

親に「自分は心配ないよ、幸せだよ」と言える状況になること、安心させてあげることを親は求めているのかもしれません。

親が病気になり、いてもたってもいられない人へ

親の病気が発覚したばかりの人。

親の介護が必要になった人。

そして、親はまだ元気だけど、感謝の気持ちを伝えられていない方。

私は親になにかあった、なにかあるかもしれない、そんな事態に直面するとギューっと胸が締め付けられる気持ちになります。

夢にまでみるほど、心配になることもあります。

いま自分ができる限りのことをすることで、その心が少し軽くなるかもしれません。

親と話し合い希望を聞きながら、自分が親に出来る限りのことを今日からぜひ、始めてみていただきたいです。

次回は、親が病気になった時のお金の問題について書きたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました