父の緩和ケアを体験して。抑うつと性格の変化、受け入れがたい要求

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こんにちは、在宅ワーカー主婦のgyaoです。

私にはいまがんで緩和ケアを受けている父がいます。

緩和ケアをうける父と接して、率直に感じたことを書いてみたいと思います。

家族が緩和ケアを受ける時の対処法や木の持ち方を書いているわけではありません。ただただ、自分がどう感じたか、どう行動したかを淡々と書き記したものです。

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私と父について

私は30代前半の主婦です。大学からは実家を出て両親とは他県で離れて暮らしていたので、顔を合わせるのは年に数回でした。

私の父は65歳を過ぎたところです。会社を退職してまだ2年ほどですが、がんとはもう数年付き合ってきました。

父の病名は神経内分泌腫瘍と言うがんです。

珍しいがんで、地元の大きな病院しか診てくれるところがなく、そこに定期的に通っていました。

定期検査ではレントゲンに移る腫瘍が、わずかではありますが、だんだんと大きくなって行きました。

父は寡黙なほうで、自分の話はあまりしません。離れて暮らしているのもあり、父の病気の状態はよく分かっていない部分も多かったです。

そんな父が入院したと知らせが届きました。

もともと病気が進行して体力が低下していて、入院する予定とは聞いていました。でも入院予定を待たず、緊急入院しました。

恥ずかしながら急いで駆けつけた病院で、父の入院するという病院が緩和ケア病棟だと初めて知りました。

緩和ケア病棟での父の様子

年始に帰省してから半年ほど会っていなかった父は、驚くほど衰弱していました。

父の様子を聞くのはいつも母を通してで、父から直接聞くことはあまりありませんでした。母のフィルタがかかっていたのもあり、父が緩和ケア病棟に入るほど辛かったのを知りませんでした。

父は病気の影響でもうずっと食が細くなっていました。

そして、食事をとっている父の姿を見たのは入院したその日が最後でした。

その後は水分だけを取るようになり、しだいにその水分すらとることを拒否しました。点滴もなにもしていないので、体にはなにも入っていない状態です。

父の抑うつ状態

入院するくらいから、父の性格が少し変わったように感じました。

ふだんは寛容で、人に激しい言葉をかけるところはあまりみたことがありませんでしたが、自分の病室に家族ですら面会に来ることを激しく拒みました。

来なくていい、と家族に言ったのです。

家族からすると心配だし、少しでも顔を見たい。でも本人は会うのを拒否している。そんな状態でした。

面会のために電話をし、看護師さん経由で伝えてもらうと父はあからさまに嫌な顔をしたといいます。

その後も数日間、面会は来なくていい、食事は絶対とらない、と声を荒げることが増えました。穏やかな性格の父がこんなことを言うなんてどうしたのだろう、と当時の私は感じていました。

そしてさらに私が印象深いのが、「なるべく早く逝きたい」という言葉でした。

初めて聞いたときは、ショックでした。

なんとか頑張ってくれないか、少しでも治療してくれないかと望みましたが、父は激しい抵抗をしました。

看護師さんに父の様子を聞くと、抑うつ状態が見られるとのこと。

本人の辛さは本人にしか分からない。自分も父と同じ状態になったら同じように思うかもしれない。

こんな風に少しずつ考えられるようになるのには1週間半ほど要しました。2週間以上経った今も、まだ完全には受け入れられていません。

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